「いだてん」三島弥彦の凄すぎる家系
大河ドラマ「いだてん」の登場人物紹介シリーズとして、次は主役の金栗四三とともに短距離ランナーとして、ストックホルムオリンピックに出場した三島弥彦をとりあげます。
大河の主役も務まりそうな父の経歴
弥彦の父・三島通庸(みちつね)は幕末、薩摩の士族でした。
幕末薩摩と言えば、西郷隆盛や大久保利通。
通庸も彼らと共に行動し、文久2(1862)年に京都伏見で起きた寺田屋事件では精忠組の過激派側として関わり、大河ドラマ「西郷どん」では関ジャニ∞の錦戸亮さんが演じた、西郷隆盛の実弟・信吾が、ギリギリのタイミングで斬られずに謹慎で済まされていましたが、通庸も同様の処分を受けています。
その後、大政奉還が行われた後、鳥羽伏見の戦いにも参戦。
大久保利通の計らいで新政府に入ると、西南戦争の8年後にあたる明治18(1885)年には、警視総監も務めた超大物だったのです。
その地位は「西郷どん」の最終回、桐野利秋を銃で撃った川路利良がいました(史実としては川路が直接撃ったという資料はありません)が、彼がその初代です。
官位も、死後名誉回復して正三位を与えられた西郷隆盛と同じです。
倒幕の指導的立場にいた、西郷や大久保のような幕末の主役ではないものの、通庸の視点で幕末の動乱を描くなど、通庸で大河ドラマを一本作れそうな人物だったのです。
弥彦のストックホルム大会後
弥彦は金栗と共に出場したストックホルム大会で、100メートル、200メートル、400メートルに出場も結果は惨敗に終わりました。
大会後、雪辱を晴らすべく次のベルリン大会を目指すも、第1世界大戦で大会が中止。
大正9(1920)年のアントワープ大会ではすでに34歳になっていた(ということは、ストックホルムでは26歳だったわけですね)為、アスリートとしての旬を過ぎたと判断したか、予選にも顔を見せなかったそうです。
弥彦はストックホルム大会の翌年、帝大(現東京大)を卒業すると、横浜正金銀行(現東京銀行を経て三菱UFJ銀行)に入社。
銀行マンとして後世は生き、歴史の表舞台からは姿を消しました。
弥彦は若い頃相当にモテたそうですが、それも要因の1つか、結婚は遅く大正12(1923)年。37歳の時でした。
そして、この妻の家系もまた凄いです!
弥彦の妻の家系も凄い
弥彦の奥さんは鍋島文子。
鍋島とくれば、歴史好きの方ならザワっとされるでしょう。
そう、幕末肥前(現佐賀県)の藩主で、江藤新平や、大隈重信らと共に「佐賀の七賢人」と称される名君。
鍋島直正の娘さんです!
弥彦は実父だけでなく、義父も大河の主人公になっておかしくない超大物だったわけです。
そして、さらにそれだけではとどまりません!
親族には大物政治家がズラリ!
弥彦には峰子という姉がいました。
ちなみに、ドラマ「いだてん」ではそこまでは触れられていませんが、弥彦自身は女西郷と恐れられた母、和歌子とは実は血が繋がっていません。
なにせ江戸時代、サムライの時代の武士がお父さんですから、側室もいて、その方の子どもが弥彦です。
ただし、和歌子は本当にそういったことで、分け隔てることなく、実の子として時に厳しく、愛情を注いで弥彦を育てたといわれます。
まさに人を愛し、天を敬った西郷そのものですね。
さて、脱線してしまったので峰子さんに戻ります。
峰子が嫁いだのは、大久保利通の次男・牧野伸顕。
この長女、吉田雪子さんが、第2次世界大戦の戦後日本を立て直した首相・吉田茂の奥さんで、その三女・和子さんの子どもがなんと、第92代の内閣総理大臣、麻生太郎さんです。
ちなみに牧野伸顕も外務大臣などを歴任している、主に大正時代に活躍された大物政治家です。
それが天狗倶楽部のメンバーとして、痛快男子と呼ばれ、恐らく本当に家族には誰一人理解されなかったであろう、スポーツ選手として青春時代を過ごした。
まさに痛快男子そのものの生き様をした人物でした。
いだてんでは、あくまで金栗四三の脇役に過ぎませんが、この弥彦も常人には理解できない悩みを抱えながら、ストックホルムに挑んでいたことが想像できますね。
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