ノストラダムスの大予言に沸いた1999世紀末

ノストラダムスの大予言に沸いた1999世紀末

今から20年前。
1999年。

正式には80年代あたりから、ずっと話題に上っていたのが「ノストラダムスの大予言」。

ミシェル・ノストラダムス(Michel Nostradamus、1503年12月14日~1566年7月2日)は、ルネサンス期フランスの医師、占星術師、詩人。また料理研究の著作も著している。

ウィキペディアから引用しましたが、ノストラダムスは実在の人物。
日本では予言者としての顔が大きいですが、医者でもあった人物でした。

わたしも80年代、子どもの頃、このノストラダムスの予言には恐怖も覚えつつ、ただどこかに、怖いだけでなく、一種のカタルシスのような感情も抱いていたように思います。

「1999年7の月、恐怖の大王が空から降ってくる」

この当時を生きた人であれば、誰もが聞いたフレーズ。

この恐怖の大王とはなんぞや?
だけでテレビ番組が成立したほどです。

そして、2019年4月7日、夜22時放送のフジテレビ「Mr.サンデー」で、1973年に「ノストラダムスの大予言」を世に出し、ベストセラー作家になった五島勉さんが、以下のようにコメントしたそう。

子供達には謝りたい。子供も読むとは思っていなかったんですよ。真面目な子供達は、考えてご飯も食べられなくなったりとかね、悩んだり・・・それは謝りたいと思う。

これ見て、なんとなく当時のことを思い出したので、今回はこの件を記事にしたいと思います。

改めてノストラダムスの大予言とは

1999年は20年前。
まぁ、今現在30歳くらいの方も、まだ小学校の低学年だったし、覚えてない方も少なくないと思うので、改めて紹介します。

1999年7か月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモアの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために。

ウィキペディアからですが、これが最も有名なフレーズの日本語訳。

この表現が様々な憶測をよび、地球滅亡論がまことしなやかに人々。
もちろん私もどこかで信じていました。

そして、この恐怖の大王を信じさせる伏線として、ノストラダムスの随分と後の時代の話。
例えば、ヒトラーの登場や、アメリカ同時多発テロなども言い当てていたというものでした。

終末思想は古く平安時代にもあった

この世紀末、終末思想は1999年が初めてであったわけでなく、何度か歴史の中で繰り返されてきています。

日本においては、平安時代後期に末法に突入するという目測と、鎌倉時代へ移り変わっていく不安感、当時の民衆の仏教への理解不足などが相まって、次第に、末法観念が終末論的に転化されていった。

仏教における末法思想は、「この世の終わり」を意味する終末的思想と同意義と見る向きも多い。

ウィキペディアからこちらも引用しますが、平安時代末期の人々も無常を感じていたようで、例えば京都宇治の平等院鳳凰堂も、この思想の影響が強いとも言われます。

平等院が建立されたのは1052年とされ、その100年ほど前、940年頃に瀬戸内海で藤原純友が。
関東では平将門が反乱を起こし、以来、華やかな貴族社会から武士の時代に移っていく中、当時の人々が現世に絶望し、極楽浄土に救いを求めていた時代がありました。

世紀末思想は日本に限った話ではない

1つの世紀ないし時代区分が「終わる」時に待望される切迫した変化を見越した興奮や変化への絶望である。これらの思潮により、19世紀末には「世紀末」という概念が(ヨーロッパの人々の中で)かつてないほど意識されるものとなった。

これもウィキペディアから引用していますが、世紀末思想は別に日本に限った話ではありません。

人類共通でカタルシス的な感傷に浸ってしまうところは、きっとあるんだと思います。

いずれにしてもあの時代、1980年代の日本に於いて、ノストラダムスは確実に受け入れられ、大なり小なりみんな左右されていたんだろうと思います。

なぜか五島さんの謝罪記事を見て感じたんですが、当時子供だった私的には謝罪はいらないかな。
80年代、90年代のあの独特の高揚感と、しかし常に帯びていた影。

また今とは少し違って、辛いこともたくさんあったけど、楽しいこともたくさんあって、別に戻りたいとか思うタイプではないですが好きだったように思います。

なので、五島さん。

十分楽しませて頂いたので、ありがとうございました。
私はそう伝えたいなって思いました。

おわり(笑)