永遠のボクらのアイドル福沢諭吉さん遂に引退!これから末永く宜しくお願い致します。渋沢栄一さん!!
2019年4月8日の未明に、飛び込んできた新紙幣のニュース。
今回はそれをお題に記事にします。
15年ぶりの新紙幣へのデザイン一新
前回紙幣が変わったのは平成16年。
2004年だそうです。
当時どのようなことがあったかと言えば、時の総理大臣は小泉純一郎さん。
またアテネオリンピックがあり、日本は金16、合計37個の好成績を収めました。
柔道では野村忠宏さん、水泳の北島康介さん。
有名な「チョー気持ちいい」が飛び出した大会です。
他にも女子マラソンで野口みずきさん。
現役時代「霊長類最強女子」と呼ばれた女子レスリングの吉田沙保里さんが、初めて金メダルを獲得したのもこの大会。
同じく伊調馨さんもこの大会が初の金メダル。
伸身の新月面が描く放物線は、栄光への懸け橋だ!
この名実況で日本中が湧きましたね。
体操ニッポンが復活したのもこの大会(男子総合金)。
他にも柔道、谷亮子さん、陸上ハンマー投げの室伏広治さんら往年の名選手が活躍しました。
スポーツでは他にも先日現役を引退した、野球のイチロー選手が、最初にシアトル・マリナーズに所属し迎えた4年目。
日米通算2,000本安打や、メジャー歴代最高となるシーズン262安打の偉業を達成した年でした。
一方世相として、イラクで起きた日本人人質事件から「自己責任論」が問われ、また韓国ドラマの「冬のソナタ」が「冬ソナ」ブームとして席巻。
主演のペ・ヨンジュンさんは「ヨン様」として大スターになったのもこの年です。
韓流ブームに沸いた年でもあります。
また新潟中越地震が起きた年でもありました。
他にも映画で、「世界の中心で愛を叫ぶ」が大ヒット。
「誰か助けてください!」はよく番宣でも流れた名シーンでしたね。
その主題歌だった、平井堅さんの「瞳をとじて」も大ヒットしました。
木村拓哉さん主演のドラマ「プライド」も最高視聴率が28パーセント台の大ヒットになった年です。
諭吉さんの時代に終止符!新デザインになる三名
今回起用されるのは、一万円札が渋沢栄一。
あ、ここからは歴史上の人物として、敬称は省略させて頂きます。
五千円札が津田梅子。千円札が北里柴三郎です。
福沢諭吉が1万円札に登用されたのは1984(昭和59)年。
実に今年が35年目の年に入っていました。
平成生まれの方にとっては、生まれた時から諭吉様がありがたい存在だったわけですが、遂にこの度引退されることになりました・・・。
私も当時は小学生だったので、その前の聖徳太子さんはあまり拝んだ記憶がありません(苦笑)
恐らく団塊ジュニアの方にとっても、1万円と言えば同じく諭吉様であったはずです。
ちなみに、その福沢諭吉が登用される前の聖徳太子は27年間、1万円の顔を務めました。
それを考えると、そろそろ諭吉様の引退は近かったのかもしれませんね・・・。
ではそれぞれ、新しい三名の方の簡単な功績や、略歴を紹介します。
渋沢栄一
まだ江戸時代だった1840(天保11)年に今の埼玉県深谷市の農家に生まれ、その後幕末の動乱に武士として参加。
坂本龍馬も通った北辰一刀流で剣を学びました。
大河ドラマ「西郷どん」で誰が暗殺したかで、一騒ぎになった一橋慶喜(後の徳川慶喜)家臣・平岡円四郎とも交流を持つようになり、その縁で慶喜にも仕えたことがあります。
1867(慶応3)年には慶喜の命令で、パリの万国博覧会に参加。
海外を知ることになります。
そして、大政奉還を迎え新政府から帰国命令が入ると、静岡にいた慶喜の元に戻るも、慶喜から「自分の道を歩け」と言われたそうで、ここから実業家としての人生がスタートします。28歳前後のことです。
株式会社を設立しようと、静岡に商法会所を作るも1869(明治2)年に大隈重信の要請で大蔵省入り。
しかし大久保利通らと意見が対立し、1873年に退官しています。
ちなみに西南戦争の4年前。
まだ新政府が一枚岩で、まとまりきれていない時代の話ですね。
渋沢栄一は西郷らとは全く異なった退官後の人生を送り、第一国立銀行(現みずほ銀行)の頭取を経て東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙、キリンビール、サッポロビール。
鉄道にも関わり東急や京阪など多くの企業の設立に関わり「日本資本主義の父」と呼ばれます。
その功績は企業だけにとどまらず、日本赤十字やYMCA環太平洋連絡会議にも関与。
一橋大学や東京経済大学の設立にも力を注ぎ、夏目漱石らも学んだ二松學舍大学の第3代学長にも就任。
新島襄が同志社大学を開く際には資金面で協力をするなど、医療や教育の分野にも多大な功績を残しました。
1931(昭和6)年、91歳でその生涯に幕を閉じました。
正二位の官位と、子爵の位を受けました。
津田梅子
江戸時代末期、1864(元治元)年生まれ。
今の東京新宿、牛込の当たりで生まれました。
父は武士。時代はほどなく明治維新へ。
職を失うことになり、当時の士族は東京でも彰義隊などを結成し、戊辰戦争を戦ったのは有名な話ですが、梅子の父・仙はホテルマンに転職。
農園なども運営したようで、幼い梅子はそれを手伝だったようです。
1871(明治4)年、明治黎明期の一つのターニングポイントになった岩倉具視や、大久保利通らが西郷隆盛らに内政を任せ、徳川幕府の結んだ不平等条約の改正などを目的に海を渡った「岩倉使節団」。
これに梅子は留学生として同行。
わずか6歳でしたが1882(明治15)年までアメリカで様々なことを学びました。
その時に共にアメリカで学んだ仲間に、会津藩の超大物・山川浩(大河ドラマ「八重の桜」で玉山鉄二さんが演じた人物)の妹で、後に薩摩出身の軍人・大山巌(西郷隆盛の従兄弟)と結婚する大山捨松や、瓜生繁子(海軍大将・瓜生外吉の妻)らがおり、親交を深めたとされ、後に梅子は津田塾大学を開くことになりますが、この2人もそれに協力をしたと言われます。
帰国時、すでに人生の半分以上をアメリカで過ごしていた梅子。
まだ当時の日本は、梅子が帰国する5年前に西南戦争が勃発するなど、まだまだ時代の過渡期だった頃。
当然日本の文化には馴染むことが出来なかったようで、伊藤博文に英語を教えるなどしたそうですが、日本式の上流社会や、結婚の風習が合わず(彼女は生涯独身を貫きました。)再度留学に出たとされます。
そして再び帰国。
華族女学校などで講師をしていましたが、1900(明治33)年、女子英学塾を開校。
これが後の津田塾大学になります。
当時はまだ女子教育と言えば、行儀作法が主だった時代、梅子の塾は先進的。そして厳しいものだったと言われます。
梅子は日本女子教育分野のパイオニアとして大いに活躍。
1929(昭和4)年、64歳にてその生涯を閉じました。
北里柴三郎
1853(嘉永6)年、熊本生まれ。
黒船が来航する2年前になります。
実家は庄屋だったので裕福であったと思いますが、教育方針として、幼い頃から親戚の元で厳しく育てられたと言われます。
1869(明治2)年、熊本の藩校である時習館で学んでいたものの、版籍奉還など社会構造が大きく変わる中、運命の出会いがあります。
オランダの軍医で日本で医学を教えていたコンスタント・ゲオルグ・ファン・マンスフェルトです。
彼との出会いが柴三郎を医学の道へ誘い、1875(明治8)年に東京医学校(現在の東京大学医学部)に入学。
時代はまだ士族の最後の抵抗があった時代で、この2年後、鹿児島城山で西郷隆盛が自決する頃です。
東大教授とは論文を巡り対立をしてたそうです。
その10年後、東大の同級生である緒方正規のススメでドイツのベルリン大学へ留学をします。
柴三郎30歳を越えたあたりです。
結核菌やコレラ菌を発見したハインリヒ・ヘルマン・ロベルト・コッホに学び、1890年頃には破傷風で大きな功績を上げることに成功。
後に第1回ノーベル生理学・医学賞(1901年)の候補に挙がるも残念ながら、共同研究者のエミール・アドルフ・フォン・ベーリングが単独受賞しました。
柴三郎はその10年ほど前、1892(明治25)年に帰国。
ドイツ行きをサポートしてくれた緒方とは、学説の違いで対立してしまい、東大とはかなり険悪な関係になってしまったそう。
海外で功績をあげた柴三郎が活躍できる場所が、まだまだ少なかった当時の日本。
ここで助け舟を出したのは福沢諭吉で、私立伝染病研究所の所長に就くことが出来ます。
1894(明治27)年には香港で流行してたペスト菌を発見します。
1914(大正3)年には長年の東大との確執から、同研究所が政府の移行で東大傘下に入ると退所。
北里研究所(後の北里大学)を開きます。
長年の福沢諭吉(すでに1901年に没)への恩を返すため、慶應義塾大学医学部を1917(大正6)年に創設。
初代医学部長、付属病院の長となります。
また同年には日本医師会も立ち上げ、初代会長に就任します。
日本医学だけでなく、世界の医学にも大いに貢献した北里柴三郎は、1931(昭和6)年78歳でその生涯を終えました。
歴代のお札に登用された人物
今の1,000円札、5,000円札、10,000円札になってからの一覧です。
さらに以前のデータなどは下記のサイトで詳しく紹介されています。
さきほども触れましたが、福沢諭吉の時代が相当長いので、現役世代の方にとってはほぼ1万円と言えば諭吉様でしたね。
新たな元号に、新たな1万円の顔。
今度は渋沢先生に気に入って頂きたいものです(苦笑)
500円札 | 1,000円札 | 2,000円札 | 5,000円札 | 10,000円札 | |
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2004年~ | 発行されず | 野口英世 | 発行されず | 樋口一葉 | 福沢諭吉 |
1984年~ | 発行されず | 夏目漱石 | 守礼門(2000年) | 新渡戸稲造 | 福沢諭吉 |
1957年~ | 岩倉具視 | 伊藤博文 | 発行されず | 聖徳太子 | 聖徳太子 |
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