37年の歴史に幕!音楽学校メーザーハウスが閉校
日本有数の音楽学校
メーザーハウスは東京都目黒区。
中目黒近くにある音楽学校で、その卒業生(中退も含む)は錚々たるメンバー。
LUNA SEA、X JAPANのギタリストSUGIZOや、BLANKEY JET CITYのドラマーだった中村達也。
ユニコーンのギタリストで、氣志團などのプロデューサー活動も行う阿部義晴。
スキマスイッチの2人(ボーカル大橋卓弥、キーボード常田真太郎)等名前を挙げだすとキリがないほど。
実は管理人も学生時代、長くボイストレーニングを受けていて、一度は生まれの京都で営業の仕事に就いたのですが、「ミュージシャンとしての死場を求め」この日本で名高いメーザーハウスの門を叩いています(1年たたずに中退、今も続けるWeb関係の仕事を始めました)。
2020年3月にて閉校
管理人が入学したころは池尻大橋の近くに学校があり、さらに規模拡大ということで現在の中目黒側へ移転しました。
そう、あの頃(確か2003年頃)はまだまだ明るい未来が待っていたはずだったのです・・・
しかし、その後少子化で多くの学校が閉校や、他の学校と一緒になるなど姿形を変えていく中、メーザーハウスも同じ運命をたどったようで、2020年3月に閉校・・・
自分もわずかの間でしたが、通い、そして本当に濃い1年を過ごしたあの青春時代の終わり・・・
その思い出の中に残るメーザーハウスが消滅するというニュースはショッキングでした・・・
実際どんな学校だったの?
この学校にいたのはわずか1年ほどでしたが、元々京都で5~6年はボイストレーニングを受けていました。
ある程度の自信もありましたし、今では衰えて出なくなりましたが、最大の武器だった「ハイトーンボイス」を引っ提げて、自分がこの最高クラスと言われるメーザーハウスでどれだけやれるか試してやる。
そんな想いを抱いていました。
しかし、その想いはスタートからくじかれました(笑)
よくスポーツ選手が、それなりに上手かった選手でも、さらに上のクラスに行って「これがプロを目指すヤツらか・・・」と思い知らされ、夢から挫折する話などを話されますが、全く同じ感覚。
「プロになるボーカルってこういうヤツらだな・・・自分は井の中の蛙だった・・・」を痛感。
20代後半を迎えようとしていた中、初めから「ミュージシャンとして自分の中でケリをつけたい」という気持ちが強かったので、あっさり音楽の道を辞め、当時出始めていた「ホームページ制作」やらの全く違う道へと進むことになりました。
と、私自身の話が長くなりましたが、本当にレベルの高い生徒が集まり、音楽で生きていく!
その覚悟がある若者には最高の環境だったと思います。
これからの音楽界
ちとオーバーな言い方ですが、メーザーハウスや他の音楽学校/スクールの果たしてきた役割は小さいものでなかったと思います。
メーザーハウスは閉校になりますが、今の、そしてこれからの音楽を志す若者たちが、同じように夢に向きあっていける場所。
そのものが消えてしまわないように祈るのみです。
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