三島弥彦も所属。野球界に大きく貢献した「天狗倶楽部」

三島弥彦も所属。野球界に大きく貢献した「天狗倶楽部」

大河ドラマ「いだてん」の登場人物紹介シリーズですが、今回は三島弥彦の所属した「天狗倶楽部」を紹介したいと思います。

天狗倶楽部とは

明治も終わりの頃(1840年代)、冒険小説家の押川春浪を中心に結成されたスポーツ愛好団体
「いだてん」で金栗四三と共にストックホルムオリンピックに、短距離ランナーとして出場した三島弥彦もメンバーの1人でした。
主に野球や相撲の試合を開催していたそうです。

会員名簿のような物はなかったそうで、最大100人程度所属していたとされますが、正式な人数などは分からないようですね。
昭和初期、1930年代に自然消滅をしたとされます。

野球と天狗倶楽部

「いだてん」では三島たちが常に「TNG」のロゴが刺繍された野球のユニフォームを身に着けていますね?
天狗倶楽部は野球がかなり好きだったようで、社会人野球の主要全国大会である都市対抗野球。
この大会におけるMVPは橋戸賞と命名されていますが、この名前のルーツは橋戸頑鉄
彼も天狗倶楽部のメンバーで、大学野球の伝統の一戦「早慶戦」のきっかけを作った一人とも言われています。
慶應の親交のあった選手に「挑戦状」を送り実現したのが、「早慶戦発祥」と言われています。

ちなみに橋戸賞、直近の2018年は現在、阪神タイガースに所属する近本光司選手(当時、大阪ガス所属)が獲得。
過去にはミスターアマ野球と呼ばれた 杉浦正則投手(日本生命)や、現在メジャーで活躍する田澤純一投手(当時、新日本石油ENEOS所属)。
近鉄バファローズの監督などを歴任された佐々木恭介氏(当時、新日鐵広畑所属)などさすが、そうそうたるメンバーが名前を連ねています。

他にも日本初のプロ野球チーム「日本運動協会」の創設にかかわった河野安通志(あつし)や押川清など野球の発展に大きくかかわったメンバーが多く名前を連ねています

野球害毒論への反発

夏の甲子園こと、全国高等学校野球選手権大会の主催者であり、今でこそ意外な事実ですが1911(明治44)年、東京朝日新聞は野球に対し良くないスポーツであるとネガティブキャンペーンを張りました
元々朝日新聞は大阪で刊行された新聞で、その数年後、大阪朝日新聞が全国中等学校野球大会を主催するという、今では考えられないですが同じ会社で、関東と関西両方のトップが別の決断、判断をしていた訳ですね。

その害毒論に加担した著名人には、旧5,000円紙幣に描かれていた新渡戸稲造氏や、明治の軍人・乃木希典氏などが名前を連ねています
そういえば、当時の朝日新聞には夏目漱石も所属していましたが、彼の親友・正岡子規は大の野球ファン。
どのような立場だったか興味がありますね。

野球についてまだ世間一般の理解が追い付いていなかった時代、先に名前を挙げたような歴史的偉人も野球に対し、悪い印象を語っていたわけですが、それに敢然と立ち向かったのも天狗倶楽部。
天狗倶楽部が無ければ今の野球界は無い!などとそこまで風呂敷を広げませんが(事実、読売新聞など害悪論に立ち向かった組織がありました)、野球の発展に黎明期に大きく関与した団体であることは間違いありません

天狗倶楽部のユニフォームなどは見学できるのか?

2014年まで私財で賄われていた「吉澤野球博物館」に展示されていましたが、現在その所蔵品などは、博物館のある千葉県船橋市へ寄贈されています。
現在は船橋アリーナ内に「吉澤野球博物館資料展示室」として常設されているようです。
詳しくは船橋市の専用ページをご参照ください。

船橋アリーナ所在地

〒274-0063 千葉県船橋市習志野台7丁目5-1