いだてんは第二章へ。新たな登場人物たちの紹介
4月14日より「いだてん」は第二章へ入っていきます。
第二章から新しい登場人物も登場するようなので、重要な役になりそうな人物を紹介してみたいと思います。
ストックホルムから帰国した金栗四三
1912年にストックホルムで大敗を喫した金栗ですが、帰国して間もなく再び立ち上がります。
そして2年後の1914(大正3)年に、綾瀬はるかさん演じる春野スヤと結婚します。
この頃から東京府女子師範学校(現在の東京学芸大学)で地理の講師も始めています。
ドラマじゃ勉強しているシーンもほとんどなく、どちらかと言えばオバカなキャラクターとして描かれていますが、彼は現在の筑波大学の出身ですからね。
本当はアタマもいいんですよね(苦笑)
1921(大正10)年から1929年(昭和4)年には現在の都立竹早高校。
当時の東京府立第二高等女学校でも地理の先生をしています。
ドラマでは、同じNHKで話題になった「アシガール」で主演を務めた黒島結菜さんが、金栗の教え子役として村田富江として登場。
村田は架空の人物のようですね。
黒島さんは「花燃ゆ」でも高杉晋作の妻役として登場されていました。
ちなみに、三島弥彦邸でお手伝いさんをしている、杉咲花さんが演じるシマ。
彼女もこのドラマでは同校の教師をするそうです。
シマは実在の人物でなく架空の人物のようですね。
金栗はお仕事も頑張りましたが、陸上選手としても現役バリバリ。
1920(大正9)年、第1回、箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)の開催に尽力しただけでなく、オリンピックにも選手としてリベンジ。
1916年のベルリン大会は中止になり、金栗(1891年生まれ)より5つ年上だった三島弥彦(1886年生まれ)は無念のまま競技人生から幕を下ろし、歴史の表舞台からはこれを持って出てくることはありませんでした。
しかし金栗の方は、アントワープ大会(1920年)、パリ大会(1924年)と続けてマラソン競技で参加。
それぞれ16位、途中棄権と残念ながらオリンピックで結果は残せませんでしたが、日本陸上競技界、黎明期に活躍した第一人者でした。
日本女子体育大学を開く二階堂トクヨ
実力派女優の寺島しのぶさんが演じる二階堂トクヨ。
第二章からの登場です。
彼女は実在した人物で、金栗より11年年上。
1880年、宮崎生まれ。
ちなみに西郷隆盛が鹿児島城山に散った西南戦争は、彼女が生まれる3年前、1877年の出来事です。
1922(大正11)年、私財を投げ打ち、日本女子体育大学の前身となる「二階堂体操塾」を開いた人物です。
イギリス留学経験があり、クリケットとホッケーを日本に伝えた人物でもあるそう。
ちなみに前大河ドラマ「西郷どん」で、最終回、鈴木亮平さん演じた西郷隆盛は「おいの死とともに、新しか日本がうまれるとじゃ」と、城山で敵陣に切り込む前に語りました。
まだ時代は男性の時代。武士の時代でした。
それから3年後に生まれた二階堂が、日本女子スポーツを大きく前進させていったのですから、本当に歴史は繋がっているなぁと、一人しみじみ感じてしまいます。
日本人初の女性メダリスト人見絹枝
もう一人第二部から登場するのが、菅原小春さん演じる人見絹枝。
彼女も「新しか日本」の象徴的人物と言っていいでしょう。
金栗が競技の第一線を退き、出場を見送ったアムステルダムオリンピック(1928年)で800メートル走で銀メダルを獲得しました。
そんな二階堂は1907年、岡山生まれ。
金栗がまだ熊本に居て、ストックホルムに向かう5年前のことですね。
岡山県高等女学校(現:岡山県立岡山操山高校)時代はテニス選手として活躍しましたが、当時から陸上競技でも目覚ましい活躍をされていました。
二階堂との繋がりは1924年に、二階堂体操塾(現:日本女子体育大学)に入学。
ここで二階堂トクヨから直接指導を受けたそうです。
同年に開かれた第3回岡山県女子体育大会で、三段跳の競技でで10メートル33の当時世界最高を記録したそうです。
そしてまだ18歳だった1925年、二階堂体操塾を卒業すると、京都市立第一高等女学校(現:京都市立堀川高校)に体操教師として赴任します。
同時に、恩師・二階堂の要請で体操の指導者として台湾を回ったそうです。
競技者としても脂に乗っていたようで、数々の記録を打ち立て、19歳の1926年、教師を辞めて大阪毎日新聞社に入社しています。
その2年後、1928年アムステルダムオリンピックに出場。
100メートル、、800メートル、円盤投げ、走高跳の4種にエントリーしています。
1912年のストックホルム大会で、三島が悔しそうに欧米人に短距離で勝てない・・・と呟きましたが、その16年後。
なんと100メートル予選を1着で通過(決勝進出は逃しています)。
そして800メートルではドイツのリナ・ラトケ選手に次ぐ2着でなんと銀メダルを獲得。
栄光の人生を歩んでいた人見ですが、残念ながらその3年後、病に倒れ大阪吹田の阪大病院で、わずか24年の短い生涯を閉じています。
同時期に活躍した日本人アスリート
日本人としての初メダリストは、金栗も出場したアントワープ大会のテニス競技でした。
金栗の1つ年上にあたる熊谷一弥(福岡出身)がシングルスで銀メダル。
同大会ではもう1人、同じくテニスで、熊谷とダブルスで銅メダルを獲得した柏尾誠一郎(大阪出身)です。
柏尾は金栗の翌年生まれですが、今でいえば同学年に当たります。
ちなみに人見の出場した大会では、織田幹雄(人見の2つ年上、広島出身)が三段跳でアジア人としても初めて、個人競技で金メダルを獲得しています。
織田については「織田幹雄記念国際陸上競技大会」が開かれており、今も偉大な競技者としてその名前が刻まれています。
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